ノ−トルダム大聖堂

サン・ルイ島から見た、
ノ−トルダム大聖堂


パリはここシテ島から始まった・・・・

パリ発祥の地シテ島、ここに堂々とたたずんでいるのが、ノートルダム寺院。 紀元前300年、ケルト人のパリシィ族がここを拠点にして街を作っていったといわれている。 パリの名の由来もここから。
ノートルダムとは、”私たち聖母マリア”を意味している。 4世紀ごろサンティエンヌ聖堂をルイ7世が12世紀に改築、200年もの年月をかけて完成した ゴシック建築の最高作品。 が、18世紀には、このあたりは荒れ果て(キリスト教批判勢力の力で閉ざされてしまった) 石がごろごろ転がる、荒野となっていた。
これを救ったのが、ナポレオン。 復活させるべく力を注ぎ、1804年の自らの戴冠式もここで行った。当時35歳、イタリア バチカンから、わざわざ教皇ピウス7世を呼び寄せてのものだった。その様子は画家 ダヴィットの「ナポレオンの戴冠」に描かれている。 その後はヴィクトル・ユゴーが修復作業の後押しを受け継ぎ、 今はフランス・カトリックの総本山としてパリの人々の心のよりどころにもなっている。 以前から、王家の結婚式などが行われてきたが、 ジャンヌ・ダルクの名誉回復裁判がここで行われたことも有名。


ピエタ
 
南のバラ窓
 
北のバラ窓

聖堂内には、ルイ14世像、ピエタ像、ルイ13世像、とみるべきものはたくさん。 主祭壇奥のステンドグラスの絵は聖書そのものが描かれている。 主祭壇に向かって左右には、、、 南のバラ窓 高さ13メートル、キリストやマリア、ほか12使徒が描かれている。 北のバラ窓 こちらも13メートル、聖母子とまわりには旧約聖書にでてくる王や聖人、が80人も描かれている。



ステンドグラス
 
バラ窓の外観

聖母マリアの門
 
最後の審判の門
 
聖アンナの門

観光客が多く入口も人でいっぱい。 入口の3つの門は、 向かって左から ”聖母マリアの門”、マリアが死後天使から冠を授かる「聖母マリアの戴冠」の様子。まん中は ”最後の審判の門”でキリストの最後の審判の様子。右は ”聖アンナの門”でマリアの母親の姿、をそれぞれ描いている。 ゆっくりまわれたら、南塔も忘れずに。 鐘つき男カジモトとエスメラルダ、司教の三角関係を書いた、 「ノートルダム・ド・パリ」の舞台になったことで知られている。