アルコバサ

1989年登録 オビドスの次に訪れた隣町のアルコバサは”愛の街”として有名。 許されない愛を貫いたペドロ1世とイネス・デ・カストロが眠る、それだけで価値があるとされる街だった。 アルコバサの名は、アルコア川とバサ川に由来する。 2つの川が交差するので、この名がついた。
この街の中心は2人が眠るサンタ・マリア修道院。マリアのために建てられた修道院だ。 ここは質素と簡素をかかげて祈りをささげるキリスト教、シトー派の修道院なので、 きらきらしたところも無く 雰囲気も落ち着いている。 中庭や回廊も見ものだけどとにかく中へ〜。 ヘドロ王子とイネスが眠る棺を見学、ガイドさんに2人の純愛物語を聞かされる。




シトー派
レコンキスタ(回復運動)に力を注ぎ、 文字通りイスラムの支配からポルトガルを取り戻した、”ポルトガルの祖”とされる アルフォンソ・エンリケ1世が支持した宗派。 質素と禁欲をかたくなに守り、また、一方で自給自足をめざして農作業を推進、その過程では 灌漑の技術も発展させた。 今ポルトガルが農業国として成り立っているのも、この時代の蓄積のおかげともいわれている。 100人からの修道士をまかなう食堂や、そのための倉庫、水道施設の整備など 今みても感心する技術が開発されていた。



ペドロとイネス

聖堂の中に向かい合って安置されている。 ペドロはアルフォンソ4世の子ども。
彼も、当時当たり前の政略結婚の渦にまきこまれた。 スペインのカスティーリャ王国のコンスタンサ王女との結婚だ。 が、王子が一目ぼれしてしまったのは、不幸にも、その王女の侍女・イネス・デ・カストロ。 もちろん許されるはずもなく、2人は引き裂かれる。 その後子どもを産んだ王女は亡くなり、王子はイネスを側室として迎えた。
だが、その後も幸せは続かなかった。 それぞれの子どもの間で世継問題がおこることを心配した王が、イネスとその子どもを暗殺してしまうのである。
時が流れ王が亡くなりペドロが王位につくと、 王子はイネスの骨を掘り起こして、正式に王妃に迎えるために改めて結婚式をあげるという行動にでた。暗殺に関わった家臣はみな処刑。 残った家臣も死者の花嫁の手に接吻を命じられたという。 このことは、今でも劇となって伝えられている。