16世紀、ユリウス2世はコンスタンティヌス帝の作った、旧聖堂を建て直すことに
本気になり、 最初は設計をブラマンテに託した。が、難航。 直径42mものクーポラをつくるのに支えなしで建てることができなかった。
その後も、何人もの建築家が挫折していった。 そこで、ユリウス2世はフィレンツェから呼び寄せていた、ミケランジェロに
クーポラの設計と建築を依頼することになる。
ミケランジェロ72歳。 実は、同じユリウス2世の命で、ヴァチカンのシスティナ礼拝堂の天井画を書き上げたばかりで、次の仕事として命じられたものだった。
彼はこの仕事を生涯最後のものとしてひきうけることにする。
『故郷、フィレンツェのサンタ・マリア・大聖堂に負けないクーポラを、ローマの
中心に建てたい』そんな、思いからだったという。 10年間、設計だけにかかった。ユリウス2世が亡くなった時は、まだ、クーポラを支える4本の柱しかでいていなかったという。
巨大な円形のクーポラをどうやって支えるか、
彼は、レンガの積み方を工夫した。 丸くなるように、ななめに組んでいく中に、規則的に垂直に積むレンガを混ぜて、強固なものにすることを考え出したのである。
ミケランジェロは、89歳で生涯を閉じるが、この時はまだ、下のドラム部分までしかできていなかったが、
弟子のジャコモ・デラ・ボルタが引継ぎ、1626年やっと完成をみることになった。
多い時は2000人もの人がこのクーポラのために、働いていたという。
ユリウス2世が建て替えを始めてから、なんと、120年後のことである。
直径42.56m、高さ136.5mと、フィレンツェより少し大きいクーポラの完成だった。
大聖堂の右手奥から、階段を徒歩か、エレベーターでクーポラの上まで、行くことができるが、エレベーターに乗っても途中からは、石段を昇らなければならない。
90段ほどだけど、急だし細いしかなり大変だった。 やっと昇ったクーポラの頂上で、息をきらせながら目の前に広がる
ローマの街に感動して、ボーッと時を過ごしてしまった。
帰りも、途中からエレベーターがあるが、私は下まで歩いておりた。 ヴァチカンの象徴としてそびえるクーポラは、
遠くからもみることができる。 それだけで美しいクーポラだけど、コンスタンティヌス帝やユリウス2世、
ブラマンテやミケランジェロといった人々の話を知ってから見ると、今まで以上に感動して、すっかり見とれてしまった。
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