サン・マルコ寺院とサン・マルコ広場





サン・マルコ広場

ここが、水の都ヴェネツィアの表玄関。写真のサン・マルコ寺院の前は3方、 回廊で囲まれた中庭のようになっている。ナポレオンは昔、この広場を、 「世界で最も美しい客間」と賞したという。
回廊は、それぞれ旧政庁、新政庁、コッレール博物館になっている。 また、この広場をぐるりと囲んで1階はヴェネツィアングラスや、貴金属、レースなどを扱う、 お店や、カフェなどがずらりと並んでいて、ぶらぶらショッピングにはちょうどいい。 ただ、ここは、値段はやや高くて、 観光客むけという感じ。
この広場は、ヴェネツィアが共和国時代だったころから、公式行事の中心地で、 新総督の就任式や、処刑などもここで行われてきた。 サン・マルコ寺院やドゥカーレ宮殿、などの、観光スポットも集中している。 広場の真ん中には、100メートルもの高さの鐘楼があり、今はエレベーターで昇れるようになっている。 もうひとつ、てっぺんのムーア人のお人形が鐘を打つ、時計塔も忘れずにみてほしい。
サン・マルコ寺院が西日に輝く黄昏時の風情は、なんともいえず、本当に写真のように、広場がピンクにそまる。

 


夕暮れ時のサン・マルコ寺院


鐘楼


広場の横にある老舗のカフェの前では、屋外の生演奏をやっている。 ここはやっぱりコーヒーでものんで、 広場に流れる時間をゆっくりと感じてみる。 しかしそれにしても、ヴェネツアが水浸しになるのは、そう珍しくないらしい。 今回はフィレンツェから列車で向かったが、2.3日前にフィレンツェで見たテレビには、 高潮で水浸しのヴェネツィアの映像が幾度となく映し出されていた。 実際についた時には、水もひいてサンマルコ広場もきれいな姿だったけど・・・・。 ここは、1番土地が低く、潟より70センチ水位 が高くなると、もう水没という ことになるらしい。 過去、10年にも、1メートルの水没は1000回ととんでもない回数で、それ以上も、あるという。もちろんそれ以上だと、ホテルのロビーなども、水浸し。 高潮や地盤沈下、ほかにも理由があるというけど、 水の都、ヴェネツィアも住んでいる人にとっては、大変なところなのに違いないと思った。


サン・マルコ寺院
11C頃から今の建物になったが、もとは、829年にエジプトのアレクサンドリアから 運んできた、聖マルコの聖遺体をまつるために建てられた。
これには、エピソードがある。 この頃、ヴェネツィアでは、街の守護聖人を探していたが、ちょうどエジプトに 行っていた、ヴェネツィアの商人が、アレクサンドリアでのゴタゴタに乗じて、この地で殉教したマルコの遺体をひそかに持ち帰ったという。 港を出る時、イスラム教徒の検閲にひっかからないよう、遺体をイスラムが嫌う 豚肉の下に隠して、ごまかした。マルコとは、新約聖書「マルコによる福音書」のマルコでもあり、街の守護聖人 としては、 ぴったりだということになった。
東方貿易の中継点として栄えた影響で、寺院も、ロマネスク・ヴィザンチン様式 になっている。 外観のモザイク画に描かれているのは、聖マルコの遺体を運んできた様子。 また、正面入口のバルコニーの上には、コンスタンチノーブルから、 第4次十字軍の戦利品として持ち帰った、青銅製の4頭の馬が並ぶんでいるので、 上を見上げてよく見てみたい。 でも、これは複製品、オリジナルは中にある。
さて、中に入ると、もうそれはまばゆいばかりの、別世界。 天井も壁も床もモザイクで埋め尽くされ、ボーッとしてしまう。 それが、「創世紀」「聖霊降臨」「キリストの昇天」をあらわしているから、 なお素晴らしい。 主祭壇の奥の”パラ・ドーロ”(黄金の衝立)はそれはそれは サファイア、金、真珠、エメラルドと、また、ため息の世界なのである。 当時、ヴェネツィアがどれだけ富んでいたのかを、教えてくれる。

 


寺院内部の天井画


青銅製の馬。これはオリジナル