シエナ歴史地区





フィレンツェから電車で1時間半から2時間、車窓からキャンティワインで有名なトスカーナの 丘陵地帯を眺めながら行くと、シエナという街につく。
レンガ色の家々が続き、中世がそのまま。まるで時間がそのときのまま止まった趣だ。
中世末にはイタリアで最も発展した都市で、サンジミニヤーノと並んで、トスカーナの世界遺産として有名。 1995年に街全体が世界遺産に指定されている。

シエナの繁栄は帝政ローマ時代にさかのぼる。 ローマとアルプス地方(スイスやオーストリアなど)を結ぶ、カッシア街道の 重要地として発展していった。 13.14世紀ごろには、なんとこの小さな街がヨーロッパ全体の金融の中心地として、 一番輝かしい時代を迎える。
イタリアゴシックの建物や、シエナ派と呼ばれる 絵画が全盛を迎えのたも、ちょうどこの時期だった。 ただ、隣街のフィレンツェとはなにかにつけてライバルとなり、 特にトスカーナの支配権や金融の面 では、いつも対立と実際に抗争を繰り返す日々だったという。
当時、ヨーロッパはローマ教皇派と神聖ローマ皇帝派に2分されていたが、 シエナが神聖ローマ皇帝派、フィレンツェがローマ教皇派と、その面でも対立は激しいものに なっていた。
シエナが衰退した一番の原因は1348年に大流行したペスト。一説には人口の80パーセント が死亡したともいわれている。 フィレンツェとの戦いで、慢性的財政難に。その上のペスト。 衰退の後は皮肉にもフィレンツェの支配下にはいっていった。